起業の理由は単なる車好き。平行輸入で始めた事業から、一気に100億円企業にまで成長させた。「好き」の熱量が、あらゆる困難をも越えさせてくれる。
2001年のTV番組「マネーの虎」では、冷徹の虎として一躍名を馳せる。一時は国内のフェラーリ販売シェアの50%を占め、アルファロメオ、MGローバー、ロータスなどの販売権を次々に獲得。MGローバー倒産からも見事な復活を遂げ、現在も精力的に活動する南原竜樹会長に、創業秘話から今後の展望までを語っていただく。
5万の車が30万で売れてしまった
─南原さんが起業を志した経緯からお聞かせください
起業の志なんてないですよ。車が大好きで、のめり込んでたら会社を作ることになっただけ。最初はボロボロの車を買ってきて、レストアとまではいかないけど、ピカピカにして乗り回してた。それを見た友人が、「それいくらで買ったの?」と欲しがるわけです。「買ったのは5万だけど、部品代やら諸々で30万ぐらいかな」と言ったら「その金額でいいから売ってくれ」と。
─大好きな車が自然にビジネスへと変わったわけですか
私にとっては、プラモデルをきれいに組み立てたら、高く買ってくれたイメージです。それを元手に「もっといいプラモデルが買えるぞ」と繰り返すうちに、気づけばビジネスへと繋がった。好きこそ物の上手なれと言うように、やっぱり覚えるのも早いし技術も伸びますから。
成功すると確信した「車の並行輸入」
─自動車ビジネスとして、具体的にはどのようにスタートさせたのでしょうか
最初は並行輸入でした。海外へ行くと、車が日本の半額で売られてて、輸入すれば確実に儲かると思ったんです。輸入した車はすべて飛ぶように売れて、いきなり軌道に乗りましたよ。1982年に個人で事業をスタートさせ、1988年に株式会社化。当時は並行輸入車のパイオニアでもあったし、為替差損も後押ししてくれたと思う。
「クルマ好きの間では、オートトレーディングルフト(当時の社名)を知らない人は“もぐり”って言われた時代もあったんです(笑)」
─国税に入られたことが、法人化のきっかけにもなったと伺ったことがありますが
ありましたね(笑)。27歳の頃かな。「国税の人が来てるよ」といきなり家族に言われ、当時はなんの意味だかわからない。部屋に入ったら3人の男性がいて、「南原さん税金を払ってないでしょ」って言うんです。「僕は義務教育も受けたし、愛知県立松蔭高校っていう進学校も出た。大学は辞めたけど3年半は行った。一度も税金の払い方なんて習ってない」って言ってやった(笑)。相手も負けじと、「納税は国民の義務だ」って言うから、「義務なら義務教育で教えなさいよ」って。もちろん、その後きちんと納めましたよ。
並行輸入からディーラーへと事業を拡大
─事業を立ち上げる際は、扱うサービスやプロダクトが重要になります。南原会長のビジネスモデルだと、やはり仕入れ値がポイントになるのでしょうか
その通りです。私は並行輸入ビジネスなので、プロダクトを生むイメージではない。ひたすら海外で買い付ける、仕入れがメインになります。1ドル80円の時はカナダに飛んで、ドバイにも行きましたよ。1997年に韓国ウォンが大暴落した時は、現地のベンツをすべて買い占めたこともあります。
─新車のベンツを全部ですか(笑)。その後はどのようなステップで会社を大きくしていったのでしょうか
ビジネスを大きくするタイミングで、しっかり事業計画を作りました。当時の中古車販売業は、車好きが集まった男臭いイメージが強い。大卒のホワイトカラーが、就職先として選ぶ業態ではありませんでした。私としては、ディーラーを始めるためにも良い人材が欲しいわけですね。そのためにも将来を見据えた事業計画を作り、信頼できる会社にする必要があったのです。
そんなタイミングにチェッカーモータースの案件が届き、結果的には日本初の民事再生が適用された買収になりました。創業40年ほどの老舗で、アルファロメオのディーラーとしても日本一だった会社ですね。その後はTVRやMGローバー、ロータスなどの輸入権を次々に獲得し、年商100億にまで成長できました。
最前線から退き、次世代の経営者をサポート
─最後に、南原さんの今後のビジョンをお聞かせください
今は若い世代のサポートに力を入れてます。年齢や体力面を考えると、いつまでも第一線で走り続けるわけにもいかない。現在のITやAIの進化を見ても、若い世代だけで事業はできるし、十分な成長戦略も描けると思うんです。私は第一線からは退いて、後ろから彼らの尻を叩いていきますよ。今後も若い世代を育てながら、成長を楽しんでいこうと思ってます。
「いつまでも第一線に居座って老害になるのも嫌じゃないですか。周りの同世代を見ててもね、感じるところはいろいろありますよ」
人生は、会社のように四半期で分けられると思うんです。最初は学生の期間で、第2クォーターは車事業でがむしゃらに駆け抜けた。第3クォーターでは5,000人の社員を抱え、今は顧問業として第4クォーターを生きてる。このすべての期間を悔いなく全うしたいと思ってます。
─クルマ好きが高じて、気づけば事業としてスタートしていた。時代も後押しし、困難も駆け上がって業績を拡大させたと南原氏は語った。「好き」という要素は重要ですかの問いに、「私にとっては重要です」と即答。事業に対する想いの大切さを再確認できたお話でした。南原会長、貴重なお話をありがとうございました。
会社名 | 株式会社LUFTホールディングス(英語表記:LUFT HOLDINGS inc.) 旧社名)オートトレーディングルフトジャパン株式会社 |
住所 | 東京 :東京都港区西新橋1-5-9 ル・グラシエルBLDG.70 2階 名古屋:愛知県名古屋市東区東桜2-3-7 東カン名古屋キャステール 1階 |
代表 | 南原竜樹 |
設立 | 1988年2月12日 |
Web | https://www.luft-hd.co.jp/ |