知識やスキル、礼儀礼節まで、すべてはお店とお客さんが育ててくれた。タチアゲからたくさんの苦労や面倒もあったが、無駄になったことは何ひとつなかった。
全国展開する赤身肉専門の予約困難店「肉山」。吉祥寺にオープン以来、10年経った現在も変わることなく地域に愛されて繁盛し続けている。肉山で赤身肉を食べれば「登頂」という言葉がファンの間で使われるほど、他の店にはない魅力が肉山にはある。そんな肉山のほか60店舗以上の飲食店を手掛けた、株式会社個人商店の光山英明氏が語る創業秘話とは。
ハプニングだらけの立ち上げ
─光山さんは開業のために大阪から上京されたそうですね。東京ということで業者探しに苦労されたとお聞きしましたが
肉屋と酒屋は目処が立ったのですが、七輪や網などの備品類の業者がなかなか見つかりませんでした。当時はスマホがない時代ですから、本屋で飲食店の本を立ち読みしながら電話番号を記憶しては電話をかけ、また本を読んでは記憶しての繰り返し。本屋さんにしてみればいい迷惑ですが、苦労というほどではなかったですね。その後、無事にオープンを迎えた際は、近隣で働く人たちを招いて2日間のレセプションをしました。
─レセプションのときにハプニングがあったそうですね
レセプションの当日、慌ただしい店内にひとりの女性が入ってきたんです。「武蔵野FMでレセプションの情報を聞きました」と。「フジサンケイリビングのライターをやっているのですが参加できますか?」とのことで、いきなりマスコミなんてすごいと思いながら席に通しました。「主人も同じ仕事をしているので明日も来ていいですか?」と言われたので、ホルモンを2日間たらふく味わっていただきました。
─いきなりマスコミに注目されるとは幸先が良いハプニングですね
私もそう思いました。ところがその後に連絡がないもんですから、直接サンケイリビングに問い合わせたんです。すると、「当社にそんなライターはいません」と耳を疑うまさかの回答でした。単なる食い逃げ詐欺だったんです。冷静に考えれば、そんな情報が武蔵野FMで流れるわけもなく、店頭の告知を見て入ってきただけでした。
─人の善意を利用して期待させて、手の込んだ食い逃げですね
人を見る良い勉強になりました(笑)。その後に正式なオープンを迎えるわけですが、オーナーとはいえ常に現場に出る毎日でした。パンツ一丁で食べる人や、芸能人から現在の奥さんまで、様々な人たちとの出会いがありました。良いことも悪いことも含め、今の自分をつくってくれたのは間違いなく現場です。すべてお店に出ていたからこそ学べた経験だと思います。
焼き手として現場に立つ肉山の誕生
─現場には期間としてどのくらい出られていたのでしょうか
創業から8年は現場にいて、9年目から現場に入る回数を意図的に減らしました。1年は遊ぶと決めて銀座のクラブにも行ってみたのですが、私はまったく楽しめなかったですね。1年ほど遊んだのち、自分がメインで立てるお店を改めて作ることにしました。一般的なホルモン屋や焼肉屋はお客さんが焼きますが、今度は店側が焼くスタイルに挑戦してみようと思って。食材は、牛肉・鶏肉・馬肉の「肉々しい」ものから、アナゴ・ホタテ・アワビなどを揃えました。
友達を呼んで試食会を行ない、1万円の予算で1日6人限定というスタイルで提案したところ、それは絶対に流行るよと。また、新宿のイタリアン「ヴィンチェロ」の斎藤さんが、赤身肉の焼き方から切り方まで教えてくださったお肉がすごく好評でした。これが現在の肉山の原型になったわけですね。
「遊んでみたけどあまり面白くなかったので、自分も楽しめるスタイルの肉山を始めようと思いました」
─以前、お店に伺った際には壁中の芸能人や有名人のサインを見て、多くのお客様に愛されている店だと感じました
ありがとうございます。これまで本当に様々な人にご利用いただいて、みなさんには感謝しかありません。しかも、最初は6席の限定だったのに、「そこの席も使わせてよ」ということで9席になり、さらに席数が増えていきました。ただ、お客様が増えたら増えたで、誰のお肉を焼いているのかわからなくなってきて(笑)。ですから夜を二部制に分けて、昼の営業と合わせて1日3回転の営業にしました。
開業前に1年分の予約が埋まったFC店
─全国にチェーン展開されたのはその時期からでしょうか
新潟の知人に提案したところ、「肉山は光山さんのキャラとマッチしてるから流行ってるだけで、人口が少ない新潟では流行りません」と言うわけです。一方では、名古屋で工務店を営む人が、「はじめて自分が経営したい焼き肉店に出会えました」と言ってくれて。ただ、新潟の人が言うように自分だから流行ってるのかもしれないという懸念もありました。
私自身もそれを確かめたかったので名古屋への出店を決めました。すると、「あの肉山が名古屋に来る」と知れ渡り、オープン前にも関わらず数百人の予約が入ってしまったんです。しかも、その時点で1年以上の予約分でしたから、私への手数料までペイできるほどでした。
店舗数にも年商にも興味はない
─そんなことがあるんですね。名古屋にまで肉山ブランドが浸透していたんですね
本当に驚きました。有名店になっていたとはいえ、いきなり地方へのフランチャイズというのは、当時としても非常に珍しかったと思います。その後も出店依頼が途絶えることなく、現在は全国で14店舗になっています。ただし、先に出店した肉山とお客様の取り合いにならないよう、各都道府県に対して1オーナーというルールを実施しています。
「有名店になったところで、さらに数字を伸ばそうとか儲けようなんて少しも考えていません」
─光山さんはむやみに店舗を拡大しない方針を取られていますよね
私は100店舗にしたいとか、上場したいということもなくて、純粋に地域の人に愛されるお店が作りたいだけ。また、流行ってるからと店舗を拡大して、旬が過ぎていることに気づかないというケースにもなりたくない。ですから、創業から10年を経過した今は旬を過ぎたと判断し、新規出店はストップしています。ただ、吉祥寺店の売り上げはまったく下がっていないし、それは他店も同様です。無茶な出店や経営をせずにお店を大切にしたことで、むしろ地域に根付くことができたと思っています。
─経営者として大きな実績がありながら、言葉の節々にあらわれるお客様や仲間への愛情と強い意志が印象的な光山氏。成長したからと拡大するのではなく、より「本物」に近づくことこそが事業であるという光山氏の教えこそ、経営の本質なのではないだろうか。
会社名 | 株式会社個人商店 |
代表 | 光山 英明 |
Web | https://note.com/wa1115/ |