友人と立ち上げた飲食ビジネス。10年の長いトンネルをさまよい、餃子で新たな勝負に挑んだ。お客様をはじめ、すべてのスタッフに全力で向き合った結果、事業は急成長を遂げた。
井石裕二(いせき ゆうじ):東京都出身。IT関連会社の勤務を経て、友人と飲食店をスタート。同年2001年に有限会社ナッティースワンキーを設立。2007年、株式会社NATTYSWANKYホールディングスに商号変更。2011年「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」をオープン。のちに「肉汁餃子のダンダダン」に名称を変え、2019年に株式を上場。134店舗を展開(2023年8月現在)。
タチアゲは誰もが順調なわけではなく、時にはすべてが手探りのなかで模索をする。ただ、思うような結果が出なくても継続したことで見えたものがあった。現在、日本全国に130軒を超える店舗を構え、株式上場にまで会社を成長させた井石裕二氏に、タチアゲ時の思いや苦労話をお聞きした。
起業家としてのスタートは焼酎バーだった
─まず、井石さんが起業に至ったきっかけからお聞かせください
24歳の頃、行きつけのラーメン店でアルバイトをしていた田中(現、同社副社長)と仲良くなったんですね。すると次第に様々な話をする中で、彼が飲食店で独立を考えていると。私も学生の頃から漠然と起業を意識していたし、タイミング的にもそろそろかなと考えていたので、一緒に始めることにしました。
─田中さんがラーメン店を運営、井石さんは焼酎バーを開業したそうですが、事業としては思うようにいかなかった?
田中がラーメン店を2軒、私がダイニングバーを2軒という形で10年ほど運営していました。ただ、どうしても個人経営の規模から抜け出せないというか、食べつなぐレベルからスケールできないというか。一方では、10年ともなると家庭を持つ初期メンバーもいたので、収入面でもなんとかしてあげたいじゃないですか。いろいろ考えた末、スケールできるビジネスモデルとして 肉汁餃子製作所ダンダダン酒場 (現、肉汁餃子のダンダダン)を開業しました。
10年間スケールできなかった事業から餃子居酒屋に転身
─ダンダダンのオープンにあたり、事業が大きく変わることになったと思います。改めて取り組んだことはありましたか
特に変わったことはしていないんです。以前のラーメン店から手づくり餃子は提供してましたし。ただ、改めて最初の1年間は餃子のことばかり考えて、試行錯誤しながら具材や味を追求してました。
─タチアゲはプロダクトも重要ですが、一緒に働くメンバー集めに苦労される経営者もいます。井石さんの場合はいかがでしたか
メンバーは、知り合いやお客様からの紹介がほとんどでした。また、すでにラーメン店とダイニングバーにプロが集まっていたんですよ。和食からフレンチ、イタリアン、中華に至るまで、それぞれ修行したメンバーが揃っていました。おかげで、餃子以外のメニュー開発にも苦労しなかったんです。ただ、人数そのものは足りなかったので、開業からしばらくは毎日1人1,000個の餃子を握ってましたね(笑)。
「資金がなかったので求人広告も出せないし、タチアゲ期はまったく人数が足りませんでした。閉店後は朝まで餃子を握り続け、全員シャワーだけ浴びてそのまま出勤していました(笑)」
─ダンダダン1号店をオープンを迎えたときはいかがでしたか
どんな店で味も美味しいかわからないにも関わらず、開店前に行列ができていたんです。調布というローカルな土地柄もあり、すでに話題になっていたと聞きました。これまで10年ほど続けたスモールビジネスから、やっと長いトンネルを抜けたかもしれないと思いました。
─非常に嬉しい瞬間ですね。やはりビジネスにおいて語られる「継続」は、苦労があっても行う意味があると思われますか
重要だとは思いますが、必ずしも継続だけが正解ではありません。田中とスモール規模で10年間やりましたが、本社経費をほぼ生めませんでした。続けても大きな成果が出ないなら、何かが間違っていると思わなければいけない。また、必要であれば事業を転換してでも勝負に出ることが経営者の仕事だと思います。
10年近く浸透した店名をIPO後に変更
─2019年にはIPO(新規公開株)も達成していますが、なぜ上場に踏み切ったのでしょうか
実際に上場を考えたのは、15店舗を超えた1016年です。各店舗が利益を生み出せるようになり、新店舗も月に1軒ペースでオープンできていて。その結果、既存店の売り上げと出店ペースで長期的なスケールが想定できるわけですね。また、採用の仕組みやオペレーションも確立されていたので、3年後にはいけるだろうと。
─2020年にはすでに認知を得ていた店名を変更されていますが、どのような意図があったのでしょうか
上場した翌年に、「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」を「肉汁餃子のダンダダン」に変更しました。そもそも「酒場」を付けた理由は、餃子がメインの居酒屋をつくりたかったからなんですね。現在は「餃子居酒屋」という業態も認知されてますが、逆に取りこぼしているお客様がいるのではないかと。そこで「酒場」を外し、店名をシンプルにしました。
「酒場」が付くとお酒のイメージが先行するので、純粋に餃子を楽しみたい人やお子さんと一緒の家族連れは入りにくい。どんなに美味しい餃子でも、「酒場」が障壁になって味すら知ってもらえないのではないかと。多くの人や地域に愛されるよう、思い切って店名を変更しました。
スタッフが1,000人になっても通用するマニュアルを10人の頃から実施
─タチアゲから現在に至るまで、「人」について大切にしていることはありますか
誰でもクオリティを保てるよう、5つの心(向上心、好奇心、探究心、自立心、忠誠心)というクレド的な約束を作成しました。一般的にスタッフを管理する際は、接客のテクニックやマニュアルを見かけると思います。しかし、従業員が一定数を超えるとマニュアルが役に立たないというか、表面的になりがちなんです。ですから弊社では、スタッフが10人の頃から1,000人になっても浸透できるように、5つの心を共通認識しています。
「細かなマニュアルは、スタッフが一定数を超えると指導する時間の投下コストが膨大になる。だったら一目で理解できるシンプルな構造が理想」
─最後に今後のビジョンについてお聞かせください
出店の余地を踏まえ、国内は400店舗まで目指すつもりです。ただ、私たちは闇雲に拡大するのではなく1軒1軒を丁寧に行います。また、現在はスタッフや業者さんなど大勢のおかげで運営してますから、弊社と関わってよかったと思い続けてもらえる会社を目指しています。さらに、欧米諸国にも餃子は浸透していますので、長期的には海外進出も視野に入れています。
─食べてはいけてもスタッフの生活を担保できないかもしれない。10年もの間、本社経費が生み出せないビジネスは成功ではない。あのままではジリ貧になったはずと井石氏は話した。そんな苦悩の中で勝負に出たダンダダンは、今では誰もが知る「餃子居酒屋」のパイオニアでもある。だらだらと継続せず、再度のタチアゲで勝負に出た井石氏の思考は、多くのビジネスパーソンにとって学びとなるだろう。
会社名 | 株式会社 NATTY SWANKYホールディングス |
住所 | 東京都新宿区西新宿1-19-8 新東京ビル7階 |
代表 | 井石 裕二 |
設立 | 2001年8月1日 |
Web | https://nattyswanky.com/ |